国交省や秘書として学んだ政策を動かす力で、大好きな福岡の元気を皆さんの暮らしに届けます。「博多の元気を、暮らす人の豊かさにつなげたい」。現場の経験を大切に、一人ひとりの幸せへ全力で寄り添います。
趣味アウトドア
家族構成妻・長男・次男・長女
座右の銘勝つことよりも負けないこと
好きな食べ物お米
好きな本三国志、モンテ・クリスト伯
経歴
  • 1999年 福岡県立嘉穂高校卒業
  • 2005年 熊本大学大学院自然科学研究科博士前期課程(環境土木工学専攻)修了
  • 2005年 国土交通省九州地方整備局(技官)
  • 2017年 参議院議員 高瀬弘美事務所 公設第二秘書
  • 2019年 参議院議員 下野六太事務所 公設第一秘書

肩書・役職

  • 公明党博多区委員

※肩書・役職には、現在のものに加え、過去のものも含まれます。

ビジョン

ビジョン

博多の元気を、暮らす人の豊かさにつなげたい

政策課題

  • 人口減少・超少子高齢化 / 労働力不足、社会保障費の増大

→ 健康寿命を伸ばす政策で、シニアの社会活躍を推進、社会保障費も最適に

  • 経済の停滞と格差 / 実質賃金の伸び悩み、格差の固定化、中間層の地盤沈下

→ 中小企業の生産性向上、中間所得層の減税

  • 技術革新(DX/AI) / 産業構造の激変、行政効率化の遅れ、デジタル格差

→ ビッグデータの活用で社会インフラを持続可能でより良いものに

  • 防災・気候変動(GX) / 激甚化する自然災害への備え、脱炭素社会への移行

→ 博多の特性を知り、災害時に博多ならではのお困りごとを想定し対策を講じる(例えば熊本南部での生活用水が井戸であること等)

  • 国際情勢の緊迫化 / 地政学リスク、安全保障の再定義、エネルギー・食料自給率

→ 県内の近隣市町村との連携も含めて地産地消で安定した食料供給を(ナフサ等の輸入品目に頼るリスク、お米高騰等の主食対策 福岡市備蓄米等)

実績

これまでの軌跡・エピソード

国会議員秘書時代、不登校の障害児を支える福祉事業所から相談を受けました。障害のある子はデイサービスを使えても、同じ家庭で不登校になっている健常な兄弟姉妹への支援制度はありませんでした。現場の事業所は、手弁当で兄弟姉妹も一緒に預かり、必死に家庭を支えていました。「この実態を放置できない」と、私はこども家庭庁に何度も掛け合いましたが、役所の壁は厚く、簡単には動きません。そこで諦めず、地元の教育委員会や障害福祉課を巻き込んだ研修会を自ら企画。こども家庭庁と文科省の担当者を現場に引っ張り込み、実態を直接目で見てもらいました。その結果、学校と連携して不登校児らを支える事業所への「加算制度」という新たな仕組みの創設を実現しました!事業所の方から「自分たちの頑張りが認められた。ありがとう」と涙ながらに言われた言葉が、私の原動力です。現場を知り、声を届け、粘り強く調整して、制度を変えるところまでやり抜く。この汗をかく泥臭い積み重ねこそが、政治の仕事ではないと考えています。私は約9年間、国会議員秘書として、福祉・医療から子育て、防災まで、2,000件を超える切実な相談や陳情に向き合ってきました。秘書になりたての頃、十分な回答ができず悔しい思いをしました。それ以来、1件1件、関係省庁の担当者から直接説明を受け、制度の裏側まで徹底的に理解した上で相談者に回答することを貫いています。役所の言葉をそのまま伝えても市民には伝わりません。市民の困りごとを丁寧に聞き取って課題を整理し、行政には端的に伝える。行政の回答は市民の分かりやすい言葉に変えて届ける。この対話を2,000回以上積み重ねてきました。長年解決せず、怒りや悲しみをぶつけられることもあります。そんな時こそ、まずじっくり話を聞き、できること・できないことを明確にし、ダメなら別の方法を一緒に考える。「最後まで責任を持つ姿勢」で、多くの信頼をいただいてきました。2,000件の現場で磨いたのは、単なる知識ではありません。異なる立場の意見を整理し、関係者の間に入って合意点を見つけ、現実を動かす力だと考えています。

地元に対する思い

福岡県に生まれ、筑豊地域で育ちましたが、「福岡の発展を牽引するのは、やはり博多である」という強い大局観を持っています。就職後、国内の様々な地域を経験する中で、改めて福岡都市圏に10数年居住し、多くの博多の皆様と深く親交を温めてまいりました。多様な地域を見たからこそ、この街の持つ圧倒的な魅力と可能性を確信しています。生まれた故郷である福岡全体がさらに豊かで活力ある街になるためには、その経済・文化の中心地である博多の成長が不可欠です。博多区選挙区から市政に挑戦し、博多のポテンシャルを最大限に引き出すことで、地域社会の持続的な発展に貢献したいという強い決意を抱いています。

自身の性格など

幼少期に目元を負傷した際、当時は部位的に麻酔が打てず、無麻酔で5針を縫う大手術を受けましたが、一滴の涙も流さず耐え抜いたと聞いています。この根性と忍耐強さは、厳しい選挙戦や政治の逆境を乗り越える私の基盤となっています。中学ではバスケットボール部、高校ではサッカー部に所属しました。バスケ部ではレギュラーを勝ち取った一方、サッカー部では補欠という挫折も味わいましたが、いずれも3年間決して腐ることなくやり通しました。技術の不足を人一倍の運動量で補うため、得意の持久走を活かしてとにかく走り込みました。華やかさはなくとも、目標に向かって泥臭く走り続け、一度決めたことは最後までやり抜くスタミナと根性があります。

幼少期、学生時のエピソード

幼少期、友人と共に弱い者いじめをしてしまった現場を母に見つかり、その場で正座をさせられて厳しく叱責されました。この経験が私の猛省を促し、人間としての原点となりました。それ以来、「理不尽な強者が弱者を虐げること」を絶対に許さない正義感が芽生え、学級活動(HR)などでも毅然といじめを指摘・抑止する行動力へとつながりました。小学校高学年の頃、知的障害を持つ友人が常に私と同じクラスに在籍していました。後年になってから、学校側(担任)が「彼を安心して任せられ、自然にサポートできるのは成松明しかいない」と判断して配慮してくれていた事実を知りました。誰一人取り残さない社会の実現に向け、偏見なく人に寄り添う姿勢は、この学生時代に培われたものです。